アパマンショップ網走店のブログ

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t日記【あの日、あの時、これから】網走店

   

3月11日



繁忙期である私たちは、



「さぁ、週末は忙しいから頑張っていこう~」



と意気込んでいる時に、それは起こりました。



ふわ~っと体の平衡感覚がおかしいと感じ、あれっ、もしかしたら眩暈!?



と思った瞬間



他の社員が「眩暈する~」っと言った一言で



同時に二人も眩暈になる訳が無いっ!



と思い、天井を見ると蛍光灯の紐が揺れていました。



「地震!!」



決して激しい揺れでは無く、ゆっくりと

そうして思ったより長い時間揺れました(多分1、2分なんでしょうが・・・)



ゆるやかではありましたが長く続く揺れに私達は動く事が出来ません。



丁度、その時に来店されたお客様が私達の様子にキョトンとしています。

車から降りて、お店に入ったその方は地震すら気づいていませんでした。



この時点では、釧路か十勝で地震があったのかな?という程度で、のほほんとしていました。

網走は地震が少なく、又大きな揺れもあまりありません。

震源地も釧路沖や浦河沖が多い為、震度も1~2が多い様に思われます。



事の重大さを、その後のニュースなどで知る事となります。

次々にテレビに映し出される映像に私たちは釘付けになります。



これが日本だとは到底思えません。



特に津波の威力の凄さには、CGを見ている錯覚に陥ります。



「まさか・・・・ねぇ?」



どこかに救いを求めます。



こんなに凄い事になってしまったが・・・幸いという部分を探そうと・・・



でも、見つからない。



一体、これは何?



そんな思いでテレビを見ていました。



きっと、同じ思いで皆さんもテレビに釘付けだったのでは無いでしょうか?



弊社は多くの農大生の方にお部屋を貸しております。

その中に東北出身の方も多くいらっしゃいます。

丁度春休みで帰省している方もいる事を考えると心配で連絡したい衝動に駆られますが、これは大学側でも行っている事。



私達は、待つしかないと考えました。



色んな現実を目の当たりにしながら地震の影響で起こりうる事への対策を考え対応し数日が過ぎていきました。



その内、ポツポツと連絡が入りだしました。



荷物が発送できずに引越しが出来ないかもしれないという連絡。



その殆どのお部屋は、次の入居者が決まっていました。



その中でも心配したのが大槌町出身の子。



テレビで自宅があったであろう場所が津波に呑まれるのを見たそうです。

家族とも連絡が付かず、就職先とも連絡が付かず・・・部屋は出て行かなければならない・・・どうしたらいいだろう・・・。

そんな連絡が入りました。





「大丈夫!!まずは引越しする元気はある?」





不安な気持ちでいる彼にゆっくり落ち着いて先の事が考えられる様に短期で借りられる部屋を紹介し、お引越しの準備をするように伝えました。



私達は引越しが出来ないかも知れないという連絡をもらった時から

空室のある大家さんと連絡を取り、短期契約が出来るよう準備をしました。



被災した方は敷金無しで家賃のみで入居できるように交渉し、

大家さんも大変協力的で優しい方だったので、

「家賃も、落ち着いてからの支払でいいよ」と言って頂きました。

もちろん、仲介料も無し!



彼もその話を聞いてホッとした様です。



受身だけれども、今私達に出来る事はそんな事。



そんな思いで3月を過ごしました。



勿論仕事もいつもの年より膨大になりました。

引越しできないかも知れない方への対応

書類を発送できない方への対応

津波が心配だから、決めた部屋から部屋を変えたいという方への対応

見に来る予定だったのに、来れなくなった方への対応



でも、社員の心にあるモノは同じ。



どんなに大変でも、被災した人の大変さには比べ物にならない。



きっと、日本中がそんな思いだったんでは無いでしょうか?



4月も半ばになると、大槌町の彼も地元に帰る事となりました。



沢山の荷物を車に積み、未払いだった家賃を支払いに来てくれました。



「お金、大丈夫?」



「はいっ、市役所でバイトしてましたから」



どうやら、市役所の東北支援の為の対応に彼も関わっていた様です。





お父様とは連絡が付いた事は事前に聞いていました。



その彼に、「何かと使えるから」と30枚程のタオルや少しの飲料とお菓子を持たせました。(オバチャンですから、何でも持たせちゃうですね~笑)



明るい笑顔で「お世話になりました」と元気に網走を出発していきました。







彼は今どうしているのでしょう。



帰省して4ヶ月。



きっと、網走にいた時より地元に帰ってからの方が辛い事に直面したのでは無いかと想像できます。



でも、きっと、それを乗り越えて元気にしていると信じたいです。



「いつか網走に遊びに来たら、寄ってよ~」



「わかりました~」



笑顔で答えた青年は、いつか、奥さんや子供を連れて



「ここで学生時代を過ごしたんだよ」



なんて笑いながら網走を訪れてくれるんじゃないかと・・・・。





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東北地方太平洋沖地震の事、募金箱を寄付して来たのを切っ掛けに

やっと書くことが出来ました。



実は、別のエピソードもありました。



原発がある町の出身の子がいました。



地元に戻る予定だったらしいのですが、自身の予定変更で退室がどんどん遅れていました。

そうこうする内に地震が起き、実家が被災してしまいまいた。



その子が来店し、これからの事を話していると突然興奮して



「僕の気持ちなんて解らないっ!!!」と叫びました。



正直、どう答えていいのか悩みました。



大変な目にあっているこの子に、なんて答えたらいいだろう・・・と。



彼の精神状態も考えると「解るよ」と答えてあげる方が正解だったかも知れません。

それが優しさだったかも知れません。



でも、どんなに心配しても悲しんでも、当事者には敵わない。



それはどうしようも無い。



そうして、相手に届かなければ、それは無いと同じだと。



寂しいけれど、彼は正しい。





「そうだね。解らないと思う」





彼はその言葉に驚いた様でした。

そして自分の子供っぽさを恥じ、非礼を詫びて来ました。



でも、本当の事を言える彼は大丈夫だなと思いました。



無理して「大丈夫です」と答えるより。





そんな事もあり、地震の話題を書くことは何となく憚れ、一切触れない様にしておりました。

どんなに心配してもお見舞いを申し上げても、それは「言葉」でしかないと思い。

とにかく、今出来る事をやろうと思って。



でも後日談として・・・

彼の家族とお話をする機会がありました。

このやり取りについてお話をしたら・・・



家族の方は笑って話してくれました。

「自分は地震にあって大変な思いをした訳じゃないのにね~っ、何を言っているんだか」



うん、大丈夫。

こんな家族がいれば。



彼のその後は知らない。



けれど時々、電話で話をした家族の方のツイッターを見てみる。

彼の話題は出てこないけれど、家族が元気そうであれば、きっと彼も元気なんだろうと思って。



被災されている方はいろんな思いを抱えている。

きっと、無理している方も多いんだと思う。



今の私には出来る事は本当に僅かだけど、出来る事を継続していければと思っています。

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